さようなら ありがとう
悲しくて、さびしい別れが、たてつづけに二人、重なった。
ひとりは、このブログでも数回前に紹介した、実家の飼いネコ「モータ」。
7月下旬から我が家にやってきたばっかりのやんちゃ坊主だったのに、先週末、交通事故で亡くなった。
あまりに短い人生で、泣けてくる。
でもその短い共同生活の中で、モータは家族に欠かせない癒しの存在となっていた。
気ままに遊んだり寝たりしてるのに、さびしがりやで、いつも誰かのそばにまとわりついていた。
「モータ」と呼ぶと「にゃー」と返事し、「行くよー」というとトコトコついてきた。
なんだか意思疎通ができているようで、ほんとに家族のようだった。
あの父がモータのトイレの後始末係をやるようになった。
兄はちょっとでもモータがいなくなるとソワソワして探してた。
「家族がひとり増えたみたいよ。本当にかわいいが」
母は電話口でいつもモータの話。
姉はモータのものすごい寝相を日替わりで携帯写真で送ってくれてた。
夜中、母が泣きながら私に彼の死を伝えてくれて、私はモータの死はもちろんだが、家族の悲しい気持ちが察せられて、いたたまれなくなった。
でも、本当に家に来てくれてありがたかった、と思う。
家族を明るく優しい雰囲気にしてくれた。天国のモータに心から感謝を言いたい。
願わくば、違うネコとなって、また家に来てほしいものだ。
もう一人、営業時代にたいへんお世話になった会社の先輩が、おとといの早朝、ガンで亡くなった。
春ごろから具合が悪いと聞いていたのだが、「あの豪胆な先輩だから、なんとかなるんじゃないか」という楽観的な気分と、住む場所の遠さ、忙しさから、一度もお見舞いにいかなかった。
とても後悔している。
酒が入ると嘆き節が入るカラミ癖のある人だったのだが、新人、若手をいつも気にかけてくれていた。
お通夜の会場、若手の職員が先輩の周りに集まって思い出話をした。
みんな楽しくカラまれ、何かと世話になり、親しみを持っていた。
車の運転を習った人、毎晩のように飲みに連れて行かれた人、自分の編集した本を一生懸命営業してもらった人…
感謝の言葉はいいつくせない。さびしい気持ちも簡単には消えない。
これからも、先輩に語り掛けながら、本作りをしていこうとおもう。
誰もが明日の命がある保証はないのだ、今日あるものが明日あるとは限らない。
失うものがあるたびにそう思うのだけど、どうしてすぐに忘れてしまうかのう。
改めて、今あるものに、感謝の心をもって生きる、をちゃんと実践しようと思う。
ちゃんと実践はハードル高いかな。せめて一日一回は思い出すようにしないとね。
写真写りはよくないけど、かわいいヤツだったのよう。
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コメント
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そうだったんだね……
モータと先輩のご冥福を、心からお祈りいたします。
投稿: ペンギンネコ | 2007/09/28 20:52
悲しい別れでしたね。
以前、掲示板で見かけて、続報を楽しみにしてたのですが・・・。
この前の29日(じつは誕生日だったのですが)、親しい友人のおじさんのお通夜がありました。偶然にも、まっきゅーさんの先輩さんと同じ頃に亡くなったようです。
いつも、社交的でニコやかなおじさんでした。
あそこにいけばいつも会えると思ってた人の存在がなくなると、悲しさを通り越してしまいますね。
空虚感がしばらく残りそうです。
投稿: 黄色いなんとかの兄ちゃん | 2007/10/01 15:13
僕の実家でも猫を飼っています。
名前は「ぴっぴ」。僕が名付け親。
「MOTHER」というゲームに出てくる女の子のキャラクターから取りました。本当にかわいくて、家族みんなに愛されています。声が小さくて、あんまり鳴かない猫です。白黒でまっきゅーさんちの猫とちょっと似ています。
でも、うちの「ぴっぴ」、1年位前に交通事故に遭いました。僕はその現場にはいなかったけど、母が言うには、足をひきずり、尻尾は半分切れて、出血がひどかったのだそうです。母は慌てて動物病院に連れて行き、一命は取り留めましたが、いつも気品にあふれ、自慢げに振っていた尻尾は、もうなくなってしまいました。たまに後ろを振り返り、尻尾の根元だけを動かしているのを見ると、切なくなります。でも、生きていてくれて良かったと思います。母は溺愛していて、まるで娘でもできたかのようなかわいがりようで・・・。「ぴっぴ」の替え歌を作って歌っているほどですから。もし死んでいたら、母も、そして家族みんなが落ち込んでいたことでしょう。
死というのは「その人の存在がどうであったか」というのを考えさせられます。
僕は今まで、友達を二人亡くしています。二人とも交通事故でした。そして、二人ともの葬式に行けていない。そのことを今でも悔やんでいます。
まだ、話したいことがいっぱいあったのに。
ありえないのに、心の片隅にまだ生きているような感覚もあります。
死とは不思議です。
自分は死なない、となんとなく思っていたりするけど、そんなことはなく、自分は死にます。いつか死にます。
死ぬまでに自分のやりたいこと全てはできないでしょう。だから順番を付けて、上からやっていかなきゃなぁと思うこの頃です。
大切な二人の死。
ご冥福をお祈り申し上げます。
投稿: kimny | 2007/10/01 21:03
ブログに手がつけられてませんでしたね。コメントしていただいた皆様、申し訳ありませんでした。
あたたかいお言葉、ありがとうございました!
ペンギンネコ殿
ありがとう。アンリとアメリにまた会いたいわ。長生きしてもらわなきゃね。
黄色いなんとかのお兄様
コメントありがとうございます。
突然やってきた死は、本当に何か空虚な寂しさを残しますよね。
思い出を忘れない、とはいえないまでも、ときどき思い出すことができたら、亡くなった方の御霊もよろこんでくれるんじゃないかな。と最近かんがえています。
kimnyどの
とても丁寧なコメントをありがとうございます。
「ぴっぴ」ちゃん、とっても幸せだと思いますよ。たぶん、ネコは人間以上に楽天的でケセラセラなやつらだと思います。
短くなったシッポがネコマタになるほど長生きしてもらわないとね。かわいいんだろうな~
私も身近な人の死がここ2年ほどで重なっており、勢い自分の死というものをリアルに考えてしまうことが多いです。お互い年を重ねてきたってことなんでしょうかね。
自分も含めて、命ってのはあっけないものなんですな。たぶん。
で、誰かが死んで、そのせいで世の中が立ちゆかなくなることもない。
命は重い、でも、命は軽い。
なんの結論もでませんが、これからも毎日楽しみつくしていきましょうね~
投稿: まっきゅー | 2007/10/16 00:45
哀しいけどいい話ですね。
身近な存在が突然いなくなる虚しさは、僕も経験したことがあるので思い出しました。
そういえば最近、モータによく似た子を見かけました。
もしかしたら、モータの生まれ変わりかな?と思うほどそっくりでしたよー。
投稿: 霧街ろまん | 2013/01/15 20:10