花の丸の内に行ってみよう
ここは東京駅近くの丸の内仲通り。丸ビルなんかのある通りです。都によって計画的に”オシャレな街”として整備されているところです。歩道も道路も石畳なんですよ。
現在ここで、「丸の内仲通りガーデニングショー」が開催中なのであります。
ちなみに、街灯下のハンギングバスケットのアップはこちら。
こういう花のバスケットが、数十種類通りに飾られています。それはそれは素敵ですよ。
こんなミニお庭もあったり。
都市のコンクリートジャングルの中で、人が自然といかに付き合っていけるのか。
人に心の潤いをもたらしてくれる自然の力を、もっと街づくりにいかしていこう。
うーんと、たぶんこんなコンセプトでさまざまな試みがなされています。
秋の植物をうまく使っていて、通りに季節感があふれてる。
歩いてるだけでほっとできるし、わくわくする。一年中やってくれたらいいのに!
日曜日まで開催しているので、ぜひぜひ行ってみて!ホントおすすめです。
日比谷公園でもガーデン&ハンギングバスケットのコンテストやってます。
ふたつ合わせて、東京ガーデンジュエリーというイベントなのだそうです。
すかしたネーミングやなー。でも中身はある。みんな本気で作ってる。
ここからは散漫な思考です。
もともと江戸時代から、江戸っ子は園芸をたいそう熱心にやっていたといいます。
菊作り、アサガオ、盆栽、山野草の栽培、庭つくりなどなど…
技術力も相当高かった。鉢のような小さなスペースの中で花を育てる植物栽培の技術、野生植物を採取し育種する技術。
そりゃあもうシーボルトさんなんかべたぼれで、内緒でわんさか日本の植物の種を持って帰り、ヨーロッパでぼろもうけしたそうです。
でもそのおかげで、それまでお決まりの植物しかなかった単調なヨーロッパの庭は、一気に色鮮やかに、四季の変化にとんだ庭に変わっていったそうな。
ほんとに異常なまでの執念を持って、自然を生活空間にとりこみ愛でてきたのが日本人なのですね。
田舎だろうが都市だろうがおかまいなく。
人の住まない丸の内のような地区は、植物といっても業者が機械的に植えたお決まりの街路樹くらいです。
それがこのイベントのおかげで、なんか温かみのある空間に変貌したような気がします。
ハンギングバスケットにしろ、ガーデンにしろ、かなり手をかけないとできない仕掛け。
どれも丁寧に作ってあって、作り手の心が通りを覆っているようです。
やはり日本人の技術はすごい、と思いました。
西洋からの文化のはずなのに、生け花みたいな造形美。
園芸の果たす役割ってなんなのでしょう。
心を癒す。ちょっとだけCO2を減らす?空間を美しくする。友達ができたりもして。植物に人生を学んだり?
どれも正しい。でもなんかこれだけでは舌足らずだ。
街に緑や花があるということ。
自分で手をかけて植物を育てるということ。
見て楽しむ人、やって楽しむ人。
植物を思い通りの形にコントロールする技術。
植物の本来の生命力を最大限に引き出す技術。
はたらきかけ、はたらきかえされるという関係。
あーよくわかんなくなってきたけれど、植物をいかにしてじょうずに育てるか!なんてもリあがっているうちは、平和な社会のままであるんじゃないかしら。
平和じゃなくなったら園芸しなくなるってことじゃないのよ。
平和な人じゃないと園芸しないってことでもなくて。
なんとなく、植物も人間も一緒に住んでる暮らしっていうのが、ずっと続いていって欲しい。
異性にあこがれたり、子どもを可愛がったり、気の置けない友人と力を抜いた付き合いをするように、植物ともつきあっていけるって、なんかいいとおもうんだなあ。
真剣に、でも親しみもって。
ひとりごとみたいになってすみませんね。
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» 東京ガーデンジュエリーショー [庭から日記]
日比谷公園と丸の内仲通り一帯で開催されているガーデンショーに行ってきました。 [続きを読む]
日本人は”心”フィルターを通すとすべての輸入物に魔法がかかる世界一の魔法使いだと思ってます{笑}植物やヨガや自然食品に目が向けられるようになった21世紀、あきらめられません{笑}
投稿: たけのうち | 2005/10/21 00:55
たけのうちさま
魔法使いって、いい捉え方ですね。
単なる形見た目の真似ではなくて、自分の(日本人の)「心」フィルターを通して、自分たちがより豊かになるように、海外の文化を吸収、展開していける能力があるお国柄なのですかね。
繊細というか、図太いというか。
(魔法使いや「心」のフィルターの使い方はこれであってますかしら)
しっかし、形式先行とはいえ、ヨガがこれほど定着してきたのは、日本人には何かその素養があったのでしょうか?
やはりインドの思想・医学は世界の思想医学の源ってことなのですかねえ。
わたしはまだなじめませんが。
投稿: まっきゅー | 2005/10/24 01:20