祖母にお礼を言う日
(長いです。時間のある時にどうぞ)
もう時刻としては過ぎてしまいましたが、今日9月2日は、わたしの父方の祖母の命日です。
私が6歳のときに、がんで亡くなった祖母。
記憶はほとんどないのに、幼いころから、今も、そしてこれから先も、祖母は私にとって最も重要な存在です。
祖母の葬儀のときのことは、鮮明に覚えています(まあ子ども心だからいいかげんなところもあるとおもいますが)。
詩吟のお弟子さんたちが、本当にたくさん来てくださって、涙ながら感謝の言葉を代表の方がおっしゃっていました。
親戚の人も、近所の人も、お通夜も葬儀もたくさんの人が来てくれていて、祖母は本当にいろいろな人から愛されていたんだなあと感じました。孫として、誇りに思えました。。
自分が成長するにつれてだんだんわかってきたのは、祖母自身がそれほど人を愛したのだ、ということ。
その行ないの奥には、常に強い信念があったということ。
中学生の時に見つけた祖母の日記に「この現代の時代の中で、民主主義のために自分が何ができるか」というようなことを自問している文があり、それは私にとって衝撃でした。
戦争を母として切り抜け、必死で生活を立て直してきた祖母の世代だから、ということもあるのだろうけれど、今の平和で豊かな生活は、はじめからあったわけではないこと、これからも守り抜き引き継がなければならない責任があることを自覚していたのだろうと思います。
祖母は、その使命感を日々の生活の中で具体的に実践にしていました。
家族や親類を愛すること:祖母の料理は誰からも絶品といわれ、しかも世間話をチョットしている間にできあがってしまう超高速料理。来る人はみなおいしく幸せな気分になっていたようです。息子夫婦の間にいさかいがあったときも、祖母は常に嫁(母)の味方だったと聞きます。ひとに喜んでもらい、思いやりの関係を維持していくことのプロでした。
地域社会を大事にしたこと:うちの近所では、近くの八坂神社内にある”えびす様”の周りで宴会をしてその恵みに感謝する”えびす講”が年に一回あります。当時廃れつつあったこの講を復活させたのも、どうやらうちの祖母のようです。今でもちゃんと続いています。選挙管理委員会もやったし、県の女性部長もやった、詩吟の先生もやった、パワフルなおばあちゃん。未だに祖母宛ての手紙がたまにきます。あらゆるところで、縁を大切にしていたのでしょう。
いつも優しく明るかったこと:祖母の日記を母とみていたら「あんな優しくて明るいばあちゃんが、こんなに真剣にいろいろ考えていたなんてねえ」と母がつぶやきました。理屈をいうのは簡単だけど、それだけでは何も生み出さない。あくまで私の想像ですが、祖母は「優しく明るいばあちゃんであること」―自分の近しい人と一緒に過ごす時間を常に「楽しく豊かに」すること―を、かなり自覚的に行っていたのではないかとおもいます。
それが、彼女自身の自問に対する行動であったのではないかと、孫は想像するのです。
祖母の死から何年経っても、親戚に会うたびに、古くからの付き合いの近所の人に会うたびに、祖母の話題で盛り上がります。「ばあちゃんの団子はうまかったどー」「あの大きな声は家の外からでも聞こえてたが」とか。どれも、楽しくておかしくて優しい。祖母は今でも私たちに元気をくれているのです。
自分の記憶よりも、人から聞いた話で、私の中の祖母の姿はできあがっているようなものです。
祖母のように生きたい、いつしかそれが私の人生の目標になっていました。
おばあちゃんの孫だもん、何かは出来るさ。この思いが根付いてから、不必要に劣等感や無力感を増幅させたり、「自分なんてどうせ」とあきらめることをしなくなりました。
でも「なにか」はまだはっきりとは見えていない、まだまだばあちゃんの力を借りなきゃいけないようです。
ただ、ひとつ私の中ではっきりしているキーワードは「引き継ぐこと」「今を、今あるものを大事にすること」。
今日はお墓にはいけるはずもなく、お線香もあげられないけど、心の中でお参りをしました。
おばあちゃん、いつもありがとう。ほんとうに。
そして、これからもよろしくね。
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コメント
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すばらしい心の師匠をお持ちなのですね。まっきゅーさんの文面や感性を感じると、しっかりその志を持って実行されてるな~と、最初から思っていました{笑}ありがたいお話ありがとうございます。
投稿: たけのうち | 2005/09/03 02:30
僕自身、戦争のことは祖父からしか聞いたことはありませんが、いまの世の中を思うと、平和ってホントに大切だなぁとおもいます。
それから、ブログへのコメントありがとうございます。
店主がまだコメントに気づいてないみたいなので、
僕がとりあえずお答えします。
店主が川内に来たのは、奥さんの実家がこっちだったからです。
結婚して、こっちに引っ越してきたみたいで、
たこ阪は去年の2月にオープンしたので、いま1年半がたちました。
こっちにきた経緯で僕が知ってるのはこの程度です。
まだ聞きたいこととかありましたら、店主にチェックするように伝えておきますね。
では、今後もSENDAI RIVER RADIOを盛り上げていきましょう!!
投稿: ペコ | 2005/09/03 23:54
たけのうち様
涙が出るようなうれしいコメントをありがとうございます。
ブログは自分の願望の現れでもありますが、それでもいきたい方向性が伝わるところがあるのだと思うと、ちょっとほっといたします。
長文読破にも感謝です。
ペコくん
代わりにご返答ありがとうございます。
そういうことだったのかー。
徒然草は、2人のブログ上のコミュニケーションがいい味だしてるなーと思って楽しみに読んでます。
もうすぐここからもリンクします。
出来事や感じたことや思ってること、ばんばん書いてくださいねー。
投稿: まっきゅう | 2005/09/04 01:59
まっきゅ~ちゃん、カキコが遅くなってごめんね。
なんかね、あの幼かった妹がここまで成長してるところを見て、我が妹ながら誇りに思います。実は私も、おばあちゃんのことは忘れた事はなく、おばあちゃんのことを思い出すと、涙がでてしまうの。わたしにとってもおばあちゃんは特別な存在で、多分生涯誇りに思うよ。「おばあちゃんの様に、人を愛し、そして人に愛されるような人間になりたい」と思う。 まっきゅ~ちゃん、こんな情けない姉でごめんね。姉ちゃんも一生懸命毎日を生きるよ。まっきゅ~ちゃんも頑張ってね!
投稿: 洋子姉 | 2005/09/05 01:43
まっきゅーのルーツっていうのかしら,
そういうものを感じました.
私もね,亡くなった曾祖母や祖父のように生きたい,って思いながらやってきた人なので,とても共感したよ.
実践できている自信はあまりないのだけど...
でもそういう先祖を持ったことを誇りに思うよ.
投稿: deer | 2005/09/05 12:09
洋子姉どの
めっちゃダイレクトなハンドルネームやね(^^;)
姉ちゃんの場合は、一緒にいた時間が私より6年長いもんね。思い入れもちがうだろうな。私は泣けるってことはなくってさ。わたしの中のばあちゃんは常にパワフル(笑)
年末はばあちゃんトークで盛り上がりましょう♪
deer
やっぱりdeerもそうか。なんとなくわかるよ。
一世代を越えて、伝わるものってあるのかもしれないね。
わたしも口ばっかでじぇんじぇん実践できてない。
でもいつもその存在があったかくてありがたいよね。
一緒に精進しましょ。
投稿: まっきゅう | 2005/09/06 01:42