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単行本と雑誌、それぞれの資質(2)


kare-ya
職場の近くにあるカレー屋のテラス席。癒されます。はあ、ここからでたくない…

2004年3月末に、今の部署に異動してきました。
この直前の私は、現場の農家まわりという仕事にいい意味では思い入れがあり、悪い意味では縛られているところがありました。
「少なくとも3年やらなきゃものにならん」と眉間にしわを寄せていたところに、突然の異動の命令。
「自分はもう農家とこんなに付き合っていくことはないんだ」とおもうと、涙が止まらなくなってしまいました。
(と書くとメランコリックな話のようですが、これは全くモノのありがたみがわかってない視野狭窄モードです。)

そんなこんなで、右も左もわからず始まった編集部生活。
雑誌のことはあれこれ考えてたくせに(それが自分の商売道具だったから仕方ないけれど)、単行本って、なんなの?ということについては全くイメージがないままのスタート。
「単行本なんて、単価やすいし」
「なんか地味だし」
どちらかというとこんなネガティブイメージ(偏見)が最初はありました。
しかも、初めて担当になった生活・健康書というジャンルは、農家とあんまり関係なかったのもさびしかった。
雑誌に対して羨望のまなざしを向けながら、心の中で雑誌と単行本の価値を比べる生活が続きました。

その後一年間でたった3冊だけ、実際に編集に携わらせてもらって、単行本もなかなかいいな、と思えるようになってきたところです。
ひとりの著者とある期間濃密に付き合える、そのことで自分の知らなかった世界へ引っ張り出してもらえることのおもしろさにはまってしまいます。
これは雑誌の編集ではナカナカできない。
未だに「雑誌の部署がいちばんかっこいい」という憧れだけは抜けてないですが。
どちらも世の中にとって必要で、どちらも人をワクワクさせる力がある、これはわかりました。

ただし、この2つの出版形態にはそれぞれの得意領域というものがありそうです。
(つづく)

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雑誌と単行本、それぞれの資質(1)

本日、ボーナス支給。
こんな半人前がもらってもいいものかと恐縮してしまいましたが、返上するつもりはありません(ゲンキン)
ありがたいことでございます。

半人前といっても、わたしが編集初めてもう2年目。
いつまでも新米気分ではいられない。…はずなのに、今日もちょっとした凡ミスをして先輩にあきれられてしまい大凹み。そろそろ凡ミス許容タイムリミットがみえ始め、ちょっと危機感が生まれてきました。

さて、仕事自体にはなれてきて、ちょっと今の仕事を振り返ってみたい気分になってきました。
よろしければお付き合いくださいませ。テーマは、雑誌と単行本の違いについて。
今日はその本題の前の、まっきゅーのこれまで。

営業で地方まわりをしていた時に、わたしがやりたかったのは雑誌の編集。
毎日会っていて数知れずお世話になった農家に、面白い雑誌を届けることで恩返ししたかったからでもあり、
始めて知った「農業」という世界が、にわか勉強でもおもしろくておもしろくて、もっとのめりこみたいと思い始めたからでもありました。
農業面白い!とおもったのは出会った農家が面白がって農業やってたから、てのもありますが。

雑誌というのは、「ねえ、ちょっと聞いてよ。知ってる?こんな話」という親しさで読者に語りかけられる、そこがいいところだと思っています。
ホットな情報をホットなうちに届けられる。
厳密な正確さよりも、「へえ!」というようなオドロキやちょっとした感心を追求できる。
私自身が、この「ちょっとした感心」が好きな人間だったりもして。
じっさい作ってるほうは尋常じゃなく大変なのだろうけど、気楽な外野としてはこんな仕事への憧れや「やってみたい」という気持ちが募っていました。

ところが、年度末の3月に下された指令は「書籍部門(単行本等)の編集部にいけ」でした。
(つづく)

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ガンコ娘の唐芋賛歌

唐芋(からいも)=さつまいもが最近流行ってると思いませんか?
今日も東京駅にて買ってしまいました、「らぽっぽ」の”チャイナポテト”と”おさつ木の実パイ”。
若い女性のスイーツ人気に便乗して、おいしくてヘルシーな食材として。
唐芋文化運動家をめざす私にとってはGOODな時代のはずですが、そうばかりともいえなくなってきたなあ、という話です。

ひき売りの声が哀愁を誘う、焼きいもでさえいまやOLの人気スイーツです。
銀座三越内にあるCHAIMONでは、宝石売り場のような高級感あふれるケースの中で焼きいもが量り売りされています。
(CHAIMONとらぽっぽは同じ会社のチェーン店舗なんですって)
しかしなあ、いくらこだわった品種生産物だからって、100gで300円はたかいですよーCHAIMONどの。
からいもって、そげな馬鹿高い高級品とはちがうとです。
スーパーモデルのように超美人じゃないけど、いつもそこにいてニコっと笑ってくれる町娘のような存在感なんだと思うとですよ。
みなさんはどげん思いますか?

「サツマイモは土壌条件や気候の影響を受けにくく、毎年安定した収穫がえられる作物として知られている。地球規模での気候変動が予測されているが、不安定な気候環境下でも安定した食糧生産を確保できる作物として重要である。(教科書「作物」(農文協)より)
乾燥したやせた土地でも、ほったらかしにされてても、自らの生命力(光合成)で霜が降って葉が枯れるまで芋を作りつづける、たくましくもありがたい作物が唐芋なのです。

戦前生まれの人が持ちつづけている「まずしい」イメージをがらっと変えて「おいしいもの」として積極的に使う。
そのためにこのブームはいい追い風だと思うんですが、その「素朴さ」(味、値段)という持ち味こそが、長くみんなの生活に根付いていく可能性のツボだと思うんですがねえ。
ちょっとずれかかってませんか?

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「でも」使いません宣言

先日、ある友人から相談を受けていたとき、勢いあまって口走ったこと
「Aちゃんは、”でも”って言葉多いよね」
「”でも”は、それまで話してたひとの内容を否定して自分の言いたいことばっかりを重ねる接続詞だよ」
「それじゃあ一緒に話してる人が疲れちゃうよ」(以上全てマッキュー発言)
(自分が疲れてしまったから言っただけ、横柄な言い方です)

イヤー、ずいぶんえらそうなこと言ったものです。
今日まざまざこの自分の発言がよみがえってきました。
そして自問「じゃあ自分は”でも”使ってないん?」
…うーん、使ってるかも。

言いたいことだけ言うのが会話ではないですよね。
ひとつの話題でも、会話する人の数だけ違う思いや考えがあること、それを発見するのが会話の面白いところ。
自分が「こうだ」て思ってることと違う考えを持つ人がいる、そのどちらもありだ、という前提を認めていれば会話は肩肘張らなく楽しい。
わかってるつもりで、でもときどき言いたいこと(はじめから自分の頭にあること)だけ吐き出している自分かいるかもしれません。

というわけで、これから会話の接続詞に「でも」を極力使わないことをやってみます。
はじめから弱腰ですが--;)

コミニュケーションは、A+B=Cを見つけるためにあるといってもいい?
脳ミソつなげて考えるのが楽しいですよね。出来た時。
自己防衛本能でそれがなかなかできんマッキューでした。

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東京国際ブックフェア

東京国際ブックフェア(TIBF)をご存知ですか?
大手から地方の零細まで、あらゆる出版社が一同に集まって開く、出版の祭典です。
今年もこんな日程でやります!ぜひお越しを!

東京国際ブックフェア2005
会期:7月7日(木)~10日(日)
開催時間:10:00~18:00
場所:東京ビッグサイト(りんかい線・国際展示場駅、ゆりかもめ・国際展示場正門)東展示場
*一般公開日は9・10日

私の会社も出展しています。もちろんまっきゅーも駆り出されています。
つかまったら売込みされるのでご注意ください。
本をよく読む人にはまさに本だらけ天国、そうでもない人でも各ブースでイベントが盛りだくさんなので、テーマパーク的に楽しめます。

おすすめなポイントは3つ!
①大量の本が、出版社ごとに集まっていること。
ふつう本屋さんでは、出版社はごたごたでジャンル別に本が並んでいますよね。このフェアーでは出版社別にブースが出来ているので、それぞれの出版社の個性がかなりわかります。お気に入りの出版社が見つかるかも。しかも各ブースは割りとゆとりがあるので、普段本屋で見かけないようなレアな本に出合える確率が高いのです。
②多くのブースで割引販売や特典プレゼントをしていること
2割引は当たり前。タイムセールで半額になるブースも(スーパーみたいやな)。もちろん全部新品です。新刊は著者のサイン会をやっていたり、しおりやマスコットなどのお土産をくれたり、とにかくどのブースでも面白いことをやっています。
③有名著者や編集者と直に話す機会があること。
サイン会をあちこちでやっています。時にはミニトークライブも(私の記憶が確かなら)。出版社からは編集者も動員されているので、お気に入りの本の裏話とか、最近の力作とか、ナマ情報が聞けるのです。出版社就職希望の人は色々チャンスがあるかもしれません。

入場料は1200円ですが、招待券を数枚持っています。興味ある方はまっきゅーまでご連絡あれ。
makkyu103@yahoo.co.jp

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可愛がってくだされ

6月の始めにここのデザインを変えたばかりなのですが、あまりのウソくそさに耐えられず、早くも変更しました。
左のワンちゃん、カーソルを置くと反応します。特にオススメはシッポ。
癒されたい時にどうぞ。

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鉄道情景への旅

tetudou

初夏の南部縦貫鉄道(青森県、1997年休止)
obaatyan
早朝のJR岩泉線(岩手県押角駅)

鉄道情景の旅
私の先輩の運営する、見ごたえのあるホームページです。
鉄道ファンというと、最新の新幹線や珍しいSLをパシャパシャとホームで撮っている姿しか知らなかったのですが、このHPを見て、目からウロコ。自分が偏見先入観ばっかりだったことを痛感しました。

彼が撮りつづけているのは最新の新幹線でも観光SLでもなく、農村山村の素朴なローカル線。
単なる列車の魅力ではなく、列車が素朴に走っている風景が、こんなに美しくて心和むものなのか、と思わせられました。


しかし、地方にまで高度に道路が整備されてきたために、これらの魅力的なローカル線も次々に廃線、休止しつつあるそうです。
時代のせいか。それにしても、田舎に帰っては車を乗り回す自分も、こうしたローカル線の命を縮ませる要素のひとりだと思うと複雑な気持ちになります。

私にも故郷にお気に入りの路線があります。
もとJR鹿児島本線、川内~阿久根間の海岸ルート。
東シナ海に落ちていく夕日の景色がとくにすばらしい。私の身体の一部です。
路線はこの海岸線をゆうゆう走っていきます。
川内~新八代間に新幹線が開通する時、ここは長年の不採算路線としてJR九州が手放すことを決めました。
一時はそのまま廃線かと噂されましたが、結果的には第3セクターの「肥薩おれんじ鉄道」(川内~八代)として存続しています。

ローカル線は、その風景が美しいだけではなく、車を持たない学生やお年寄りにとっては欠かせない生活列車。
実用的にも、景観の欠かせない一部としても守っていきたい。
今年の夏は、電車に乗って阿久根の友達の所に遊びにいこうかな。

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新潟の田んぼ

niigatatanada

新潟県下田村北五百川集落の棚田

友人が旅先から送ってくれた写真です。
思わず私もここに行きたくなってしまいました。
自然もきれいだし、なにより農家の手入れが行き届いて、気持ちよく水がはってある田んぼに感動します。
友人の旅は、物見遊山ではなく仕事ですが(きびしい)、そんななかでもこういう景色を見つけて、立ち止まってながめているのですな。おすそわけに感謝。

ふと目に入った景色に予期せず心が励まされることって、ありませんか?
(いつもそんなに悩んでいるのか?とは聞かれますな。元気な心もさらに軽やかになるってことです)
何気なく見ている風景、景観。
でもそれらの多くは「何気なく」何もしないでそこにあるわけではない。
どんな景観でも、荒廃か開発かの可能性がある、最近それが妙に心に引っ掛っているまっきゅーでした。

6月1日、景観法のスタートです。

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未熟なのか、欠陥か

本日、ちょっとした凹み出来事がありました。

私は勤め先の社内紙の編集委員をしています。
最近,ある部署の仕事紹介の記事を書いたのですが、この記事が全くサイアクだったのです。

社内紙の編集長が内容の最終確認のために、私の取材した部署の人に記事を見せると
「ちょっとこの記事あかんよ」と顔色が変わってしまいました。
細かい数字や表現の間違いをはじめ、誤解を招く表現を相当指摘されました。
しまいには「こういうことを社内の人に知ってほしいんじゃないんだよね」と記事そのものへの批判へ。

まっきゅー、深く反省とともに情けない気持ちになりました。
その部署の先輩には、忙しいなか一時間近くも時間をとってもらい取材したのです。
それにもかかわらず、先輩方の気持ちを何も汲み取ることが出来ず、当事者から不満ばかりでてくるような記事しか書けなかった。編集者として、ライターとして失格。
自分なりにその部署の仕事の流れ、苦労するところ、仕事へのポリシーを表現したつもりだったのですが、それが全く的を得ていなかった。私は何をダラダラ取材していたのか。
仕事の中身がわかればいいや、何も知らない他の部署の社員がちょっと「へえ」というような内容がはいっていたらそれで合格点、と取材する時から妥協することばかり考えていたのではないか。
その部署の先輩の仕事への思い、その部署で目指していること、それがあればこそ苦労したり試行錯誤、悪戦苦闘があったりする。そこが仕事の醍醐味なのに、私は「無難な記事がかければいいや」と言う自分の都合ばかり頭にあり、そういう大事な点を受け取れなかったのではないか。一時間も聞いていればそのカケラでも掴んで当然です。

今回のことで、自分に編集者として(ていうか社会人として)重大なる欠陥があることを思い知りました。
自分の都合を中心にして仕事をしている、自分の甘さ。そのことによる取材アンテナの感度の鈍さ。
さて、どうしたもんだろうか。反省だけならサルでも出来る。
「我(が)」の捨て方、コントロールの仕方を身につけたい。切実にそう思います。
何からはじめればいいんだろう…

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